フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

取材

私は、とにかく人の話を聞くのが好きである。
どんな人にも、何か面白い歴史があると思うからだ。
自分の知らないことを、一つ一つ落穂ひろいのように拾っていくのが多分好きなのだろう。
まとめれば、貴重な情報データベースになる。
私は放送人として育ったから、それをどう放送に生かすかについては、そこそこ理解していると思っている。
放送人として必要なのは、まず取材するということを忘れないことだろう。
情報を相手に送るわけだから、リスナーが興味を持てるものにしないといけないし、間違ったことを伝えてもいけない。
一番大事なのは、一次情報に到達することを忘れてはいけないということだ。
どこかに書いてあったのをそのまま使う時には、それが二次情報であり、もしかしたら間違っているかもしれないということも心に留めておきたい。
例え大手新聞に載っていようと、信頼する人がインターネットに書いていようと、それを100%真実であると考えてはいけないのだ。
真実に近づきたければ、一次情報をゲットすること。
人から聞いた話が往々にして、人々をミスリードすることは私も何度か見聞きしてきた。
ジャーナリストは、誤った情報で誤った判断を人々に与えることを厳に慎まないといけない。
間違っていそうなことは、口に出すべきではない。
放送人の強い戒めの一つだろう。
さて、硬い話はそれぐらいにして、昨日会場に来られた沖縄出身の方から聞いた話をしてみたい。
その方たちは、ほぼ30年から40年前に本土に来られ、そのまま東京に定住されたということだった。
ほぼ皆さんが、集団就職
沖縄から船に乗って、まず神戸に着いたと言う。(今なら飛行機を使うのが普通だろうが)
全員、パスポートを持っての本土入国。
それだけで、ハードルが高いということがわかる。
就職先は、まず大阪。
大正区に沖縄タウンがあり、まずそこを中心に住む。
それから、あるものは東京に場所を移し、あるものは文化的な問題もあって沖縄に帰る。
文化的な問題というのは、言葉の問題。
どうしても、無口になってしまい、孤独な生活を送ってしまうというのだ。
就職といっても、そんなカッコいいものはない。
鉄工所、紡績工、そしてバーテンやコック。
沖縄は貧しい島だった。
だから、人々はまず生きていかなくてはならなかったのだ。
どこかの宰相が「何かありませんかじゃない。何をやりたいかが大事だ。」と言われていたが、多分貧しい人たちには、それは酷な言葉だなと思ってしまった。
明日もこの話を続けるつもりだ。