フロムさんの大きなお世話~コミュニティFM編

コミュニティFMについてラジオプロデューサー、フロムさんが色々語っています。

休みの代わりに

休みの代わりに、2002-6-1に別のブログで書いたコミュニティFM関連の書き込みを転載させてもらう。
少し前なので文章もこなれていないが、まあまあまともなことを言っているので、シャレ程度にお読みいただきたい。
なお、最初に書いたお休みの辞はすべて削除したので、ご容赦よろしく。



とある駅に下り立ったら、駅前にコミュニティFMがあった。
町の公共施設の中に入居していて、小奇麗にしてある。
番組はどうかと、耳をそばだてたが、音楽が意味もなく流れているだけだった。
地方へ行くと、コミュニティFMそのものが立派な文化施設だったりする。
早い話、多目的ホールとか公民館と同じようなものだ。
地域の人たちが何かしたい時に、町がそのための施設を提供するという構図。
決して、町はコミュニティFMを使って、何が何でも情報発信の核にしようとしているわけではない。
そういうお題目だけはいくらでも唱えているが。
この場所から、どんどん情報を発信して下さいとか、情報交換の場にしてください、とかだ。
しかし、それは単なる願望にとどまっている。
口先だけで、情報発信の基地などにはならないのは自明だ。
ホールなどでひどいのは、高い金をかけて東京からアーチストを呼んだり、イベントを購入して来ることが使命のように考えていること。
確かにホールの求心力は高まるが、情報発信は後が続かない。
単発で、大きなことをやっても、文化的波及力は一時的なものでしかない。
何らかのシステムを作り、日常的に効果的な情報を効果的な層に向けて発信して行く。
その構造がない限り、どんなインフラもただの飾りである。
コミュニティFMは、ただの飾り?
でも、今日行った町のように、ほとんど情報発信の場がないようなところでは、コミュニティFMでも期待するものは大きい。
音楽を聞こうと思えば、NHKのFMを聞くか、県域FMを聞くか、やや不満でもコミュニティFMを聞くかしか、選択がない。
どうも近くに、CDのレンタルショップもなさそうだし、レコード店もあるかどうか、わかったものではない。
自然とまったりと共存している、この町の人々には、まったりとしたコミュニティFMがあってもいい。


ハワイで聞いた、日系のラジオ局なんか実にまったりしていたなあ、と今思い出したところ。
司会者は電話を受けているだけ。
リスナーが次々電話をかけて来ては、伴奏なしで電話口で歌を歌う。
ワンコーラスだけ、司会者は何も言わずに聞いている。
ひどい歌も一杯ある。
我慢しているのか、聞いていないのか。
「はい、ありがとう、今日は夕方の献立は何するつもり?」などと聞いている。
どうでもイイ話題が、まったりとかわされる。
それで、聞く人が一杯いるのだから、けっこうなことだ。
何も、県域FMのように、若者向けのテンポの早い、饒舌な番組にすることもない。
町の人と呼吸をあわせれば、自ずとどういう番組を流せば、リスナーは毎日ダイヤルを合わせてくれるかがわかるだろうに。
頭で、ああだこうだと理屈ばかり考えていても、リスナーはやってはこない。
大事なのは、「気」であったり、「空気」であったりするのではないか。
それは、ともにその場にいて、自分の身体すべてを使って感じるものでなければいけない。
コミュニティでも、意外と支持されている番組があるとすると、おそらくそういうことがきっちりできている番組であろう。